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モンゴル旅行の株式会社チンギスハーン旅行からモンゴルの歴史と文化

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モンゴルの歴史

モンゴル歴史

から10世紀前のユーラシア大陸では、モンゴル高原を中心に多彩な諸部族が林立し、さまざまな出来事が起こりましたが、モンゴル帝国を築きあげ、歴史上最も勢力を伸ばしたチンギスハーン時代(今から8世紀前)を起点としてモンゴルの歴史を簡単に説明しましょう。

ンゴル高原の諸部族をまとめ、1206年にモンゴル帝国を建国したチンギスハーンは、1162年に生まれテムジンと名づけられました。彼は、1189年に諸部族を統一し、モンゴル帝国の版図(支配地域)はアジア・ヨーロッパにまたがる広大な地域に及び、大モンゴル帝国の礎となりました。1220年にはカラコルムをモンゴル帝国の首都として定めました。その7年後、建国の英雄チンギスハーンは、1227年8月25日、波乱に満ちた生涯を閉じました。1260年、チンギスハーンの孫フビライがハーン(王)の座に着き、中国に、YUAN 帝国すなわち元王朝(1279~1364年)を建国しました。強力な勢力下におかれたモンゴル系の諸部族、トルコ系の諸部族さらに南ロシアなどのステップから連れてこられたトルコ系諸部族などがハーンに忠節を誓い、モンゴル化し各地に駐屯したモンゴル人が、多数定着し、アジア諸国の中で最も西洋史に大きな影響を与えました。東洋と西洋の活発な交流・交易の結果、飛躍的な経済の繁栄と文化の発展をもたらし、国境、民族や宗教といった枠組みにとらわれない、人類史上最大規模の平和共存の時代が約1世紀間続きました。しかしモンゴル勢力の絶頂期は14世紀の半ばから衰えを見せました。

の後、この一大帝国はさまざまな対立により分裂を始め、万里の長城の北方地域へと撤退を余儀なくされます。元王朝の崩壊後、北元を建国しますが領土は東モンゴルと西のオイラトモンゴルとに分裂しました。1500年前後、東モンゴルの支配者ダヤンハーンの軍はオイラトを撃退し、モンゴルは再統一を果たしました。

ころが17世紀になると、満州族がモンゴル東部で蜂起し、中国に清王朝を樹立し、1636年、南モンゴルを従属させ、約半世紀後には北のハルハモンゴルを支配下に置きました。ところが、ラマ教に理解を示していた清王朝のチベット・モンゴル仏教優遇政策により、モンゴルにおけるチベット仏教が隆盛となります。20世紀を迎え、1911年、「清」で辛亥革命が起こり満州帝国が崩壊、外モンゴルが独立を宣言し、チベット人である42歳のジェブツンダンバ・ホトクト8世を皇帝とするボグド・ハーン(聖皇帝)政権が樹立されました。しかし、独立は長く続きませんでした。1912年、中国では「清」国が倒れ、「中華民国」が成立、1915年には、その中華民国とロシア、モンゴルの三国でキャフタ協定が締結され、モンゴルの独立は取り消されました。この協定は中華民国を盟主とする「宗主権」下で外モンゴルに限定した自治が認められ、権益はロシアが握るというものでした。

のような背景があり、2大国の圧力による干渉をはねのける力は、独立したばかりのボグド・ハーン政権にはなかったのです。さらに、1917年のロシア革命に始まる3年間は「激動の時代」の始まりでした。1919年、ロシアの混乱に乗じて中華民国がイル・フレー(現在のウランバートル)に兵を進め、外モンゴルの自治権を撤廃、その後、ロシアの内戦で敗れた白軍のウルゲン・シュテンベルグ男爵が中華民国軍を追い出しイル・フレーを占領しました。ウルゲン・シュテンベルグ男爵は、ボグド・ハーンを皇帝とする傀儡政権を樹立し恐怖政治を敷きました。これに対してスフバートル(モンゴル革命の英雄。ウランバートルにはスフバートル広場やスフバートル像があります)、ダンザン(1885~1924年)やボドー(1885~1922年)らのモンゴル人民党はボグド・ハーンの了承を得て、1921年、ソビエト赤軍と協力しウルゲン・シュテンベルグ軍を撃破、イル・フレーを開放しました。

モンゴル歴史②

1924年、ボグド・ハーンが死去すると、政権は、立憲君主国から共和制に移行、「モンゴル人民共和国」が成立し、ソ連の指導の下で世界二番目の社会主義国家として歩み始めますが、それまでの生活からの急激な変化は、僧侶や牧民たちの反乱を招きました。また、1939年半ばには、モンゴル東部国境(ハルハ河)に於いて日本軍の侵入があり、ソ連軍と共にこれを防ぎました(ノモンハン事件)。第2次大戦後は計画経済の下で工業化も促進され、牧畜ではモンゴル版コルホーズ(国営農場)である「ネグデル」として、全面的集団化がなされました。1962年にはコメコン加盟により、一層ソ連・東欧一辺倒となっていったのです。ソ連は軍事・教育・文化等で顧問団を派遣しモンゴルは従属状態に置かれたのです。そうした混乱期を過ぎ、モンゴルには社会主義が浸透しつつありましたが、ソ連でペレストロイカが始まると、モンゴルにおいても、1986年から開放化政策が開始され、1990年、80年にわたる近代史の中で始めて自由選挙を経験しました。さまざまな政党が公認され選挙法が制定され、7月には総選挙が行われたのです。修正憲法により、大統領制のほか思想・信教の自由などの基本的人権の保障条項が盛り込まれました。翌1991年、ついに人民革命党は一党独裁を放棄、複数政党制による民主政治へと移行しました。

まざまな政党が公認され、選挙法が制定され、7月には総選挙が行われました。修正憲法により、大統領制のほか信教の自由などの基本的人権の保障条項が盛り込まれました。同時にチンギスハーン崇拝や仏教も復活、経済面でも市場経済が導入されて西側諸国との関係も強化されました。1992年、国名を「モンゴル国」と改め、資本主義国家となったのですが、貧富の差の拡大、資金不足によるアジアトップレベルを誇っていた教育の混乱、ソ連経済崩壊に伴う物資の不足といった問題が新たに発生することになりました。

1996年6月の選挙では、75年間にわたってモンゴルを支配した人民革命党が初めて野党となり、民族民主党と社会民主党からなる民主連合政権が誕生しましたが、1997年5月の大統領選挙では人民革命党推薦のバガバンディが選出されました。2000年7月、民主連合に対する腐敗批判が高まり、人民革命党が再び政権をとりました。2004年6月の総選挙で、野党連合が躍進、人民主党は過半数割れ、2004年8月大連立政権を樹立しました。しかし、まもなく民主連合は解散し、2005年5月に行われた大統領選挙では人民革命党からの推薦を受けたエンフバヤルが当選しました。政治的に脱社会主義を果たしたことにより、経済面でも、それまでの社会主義計画経済から市場経済へ急転換した結果、モンゴル社会には様々な混乱が発生しました。今日では、東側諸国だけでなく、近隣の諸国はもちろん、アメリカなどの西側諸国とも友好関係を深めており、特に日本からは多方面において援助を受けています。

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モンゴルの文化

モンゴル文化

ンゴル文化の特徴は、「遊牧」という二文字に象徴されます。遊牧とは文字通り、定住せずに家畜を連れ牧草地を求めて移動するくらしのことです。近年、この移動する伝統的な生活スタイルは、定住スタイルへと様変わりしています。実際に遊牧生活を続けている人々の比率は低下し、現在では、全人口の4分の1(約60万人)程度に減少しました。
その背景には、過酷な自然状況と現代の文明や社会情勢の変化などの理由で遊牧生活を続けて行く事が困難になっているのです。

牧民の生活の一部とも言える家畜を育む牧草地は、自然の恵みの大地ですから最も大事にし、その大地を見守る天を崇拝してきました。遊牧のサイクルは、モンゴルの場合、年に4回、季節ごとに宿営の地域を替え移動します。生活は一見、簡単そうですが結構手間が掛かるものです。男性の仕事は放牧と食糧の用意(羊の解体と裁き)等であり、女性は搾乳や家事その他の細かい作業を受け持っています(羊解体後の内臓などの洗浄)。朝早くから夜まで育児、家畜の世話に加え、乳製品、肉の保存食やフエルト作りといった作業に多くの時間をとられますので慣れていない人にとっては過酷な日々が続くのです。

た、遊牧民にとって木とフエルトで出来た組み立て式移動住居「ゲル」は、生活の拠点ですから大切なものです。家という意味のゲル構造は円形の木製の骨組みの上に防水性の布をかけ、煙突を通す小さな円い穴があります。冬は「ホルゴル」と呼ばれる羊の糞を床下に敷き同じく羊の糞を固めた固形燃料「フル」を燃やして暖をとります。

ンゴルの遊牧民が飼う家畜は、通常、5畜と呼ばれる牛、馬、羊、山羊、ラクダのことを指します。山羊の原毛の一部はカシミヤの原料として高く売れます。長年の遊牧生活から得た知恵で巧みに原毛を切り取ります。山羊に限りませんが、家畜の皮は、物入れや手綱に使用し、乳を絞りチーズからさまざまな乳製品を開発し、肉は食用とし、骨(踝)を子供の玩具などに利用します。ところで、遊牧民が最も特別な思いを寄せているのが馬です。移動の友であり、乳を出してくれる母親であり、毛から素敵な楽器馬頭琴の弦を作ることもできるので、馬はモンゴルの誇りなのです。馬の疾走している姿を見るとモンゴル人の運が上向くと伝えられています。

い冬の季節が過ぎて、短い春のあと、初夏を迎える頃、馬乳を精霊に捧げる儀式が行われます。その後に作られる馬乳酒は「アイラグ」と呼ばれ珍重されます。馬乳を自然発酵させたもので、アルコール度は、2~4%程度。色は白く、味には酸味があり、栄養価が高いのです。お腹の殺菌作用にも良いと言われ、夏場はこれを飲んで食事代わりにする人も多く、大人は勿論、子どもも飲みます。中でもその年のアイラグを初めて飲んだ人は一回、下痢を起こすことがありますが、これは特に問題はなくお腹が殺菌されたと理解し、次に飲む時には普通に受け入れる体質になるのです(元々乳製品だめな人は別ですが..)。また、アイラグを体に塗ると肌がきれいに日焼すると言われます。夏の遊牧民には欠かせない貴重な美容飲料であり、エネルギー源とも言えます。
遊牧民の食事の主なものは、「馬の乳」、「牛のチーズ」、「肉」が基本です。羊の肉は血を一滴もこぼさず、骨を折らず・切らず・関節に沿って解体して大鍋に入れ塩味で煮て食べるのが基本です。冬の保存用として干肉を作ることもあり、最近はインスタント食品としても売られています。モンゴルの主食は、羊の肉だとよく勘違いされますが、それぞれの家庭、地域によって使用されている肉はさまざまです。ちなみに首都(ウランバートル)に住んでいる人々は主に牛と羊、南ゴビ地方周辺の人々はラクダの肉、その他、地方では山羊や馬肉等を食べています。昔は、主に肉のみで、中国の影響もあり、うどんなどの穀物を加えたりしましたが、ほとんど野菜は食べていなかったのです。本来の骨付きの茹で肉以外に中国やロシアの影響で料理の種類も増えました。

モンゴル文化②

在は、都会の市場に行けば野菜が売られており、値段は少し高いのですが人々は野菜を食べるようになっていますが、まだまだ世界の平均よりは野菜の摂取量が不足しています。ある友達が日本から帰国して、モンゴルに居る父親に対して「こんなに片寄った食生活で野菜をとらないと言うのは駄目だ」と指摘を受けた父親は、「家畜は自然に生えている野草を食べており、その肉を私達が食べている。有機栽培の農場の野菜よりも質の良い栄養が含まれており、さらに乳製品からもビタミン類を取っているのだ」と笑って応えたのを覚えています。確かに、モンゴルの土地で野菜を栽培し、全国民が求めやすい価格で売られれば良いのですが、現在輸入されている中国からの野菜の安全面の保証はあるとは言えないので、十分に野菜をとるのは難しく、国民の食生活の見直しは重要な課題のひとつと言えるでしょう。
それでは、ここで、モンゴルの家庭でよく飲むお茶・「スーテーツァイ」を紹介しましょう。ベースはお水に少しお茶と塩を入れ沸騰したら牛乳を入れて飲みますが、地域や家庭によっては乳性油、お米や干肉、モンゴル餃子など入れてバラエティを豊かにして飲んだりします。家庭でふるまわれたお茶はなるべく全て飲み乾すのが礼儀です。

きに述べた馬乳酒とは別の種類のお酒をご紹介しましょう。モンゴルの伝統的なお酒はもともと家畜の乳を蒸留して作った「シミンアルヒ」のことを指します。昔から遊牧民はそれぞれの家で作り、またお酒のアルコール強度を自由に選ぶ事が出来ますが、基本的には10度~14度のものです。味は飲みやすく、少し乳臭いのですが飲みすぎると知らぬ間に酔っているので注意が必要です。後に、ロシアの影響でウォッカが入り、モンゴルでも麦からモンゴル独自のウォッカを生産するようになって以来、一般の店で買うことができる「アルヒ」は38度~40度のものです。味は口当たりがよく、質も良いと好評でお土産などには「チンギス」や「ボロル」ウォッカがお薦めです。お酒の最初の飲み方としては杯に浸した薬指を「天に、地に」と上下にはじきひたいに付けてから飲みます。昔は、女性はお酒を飲まず、中でも年配の人の前では飲まない習慣がありましたので、この飲み方の作法は男性が行います。

語に関してですが、モンゴル語はウラルアルタイ語族に当てはまるもので、中国の内モンゴル自治区、ロシア連邦のブリヤート共和国(バイカル湖の周辺)、同じくロシア連邦のカルムイク共和国(カスピ海に注ぐボルガ川の南側)などで話されています。分布地域の広大さにくらべて話し手の人口は少なく、全体で500-600万人と推定されます。国家公用語としてハルハ・モンゴル語を用い、公文書は1930年の終わりまでウイグルモンゴル文字を使っていましたが、1940年代はじめ以降、ロシア文字を改良したキリル文字によって書き表されています。この文字は、左から右へ横書きされます。

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宗教

宗教

ンゴル国民の大多数は仏教を信仰しています。その背景にはモンゴルの広大な大地と自然が深くかかわっています。遊牧民が守り続けてきた風俗、習慣、文化や伝統は天と地を崇め、生態系を守り、自然との調和を保ちながら、いのちと暮らしを営む日常生活に由来します。モンゴルの宗教の歴史は2千年以上も前にさかのぼります。シャーマンを媒介とした霊的存在との交流を中心とする宗教とされるシャーマニズムの時代を経て、ラマ教の聖地ラサ(チベット)に発し、モンゴルに伝わった現在のチベット仏教にいたるまで長い歴史の中でモンゴルの仏教を承継してきました。

霊、精霊あるいは聖なる対象としての天地、山水やハンガイ(肥沃な山地)を祀る習慣が残っています。モンゴル人がとくに5畜(牛、馬、羊、山羊、ラクダ)を大切に扱う心は殺生を禁じる仏教の教えに他なりません。今日、世界でも稀な遊牧文明の存在と発展の源泉は日々の素朴な暮らしにあることを誇りに思い、困難な時代を生き抜いてきました。遊牧生活は高貴な精神文化を育み、独自の伝統文化を形成しました。そこには仏教思想が深く宿っています。モンゴル仏教は匈奴時代(紀元前3世紀頃)に始まり、徐々にモンゴル民族間に浸透し、2,000年以上の伝統があると解されています。

ンゴル仏教は、「山岳草原の仏陀」「遊牧の仏陀」としてこの国の民に定着した独自性を有する宗教です。仏教を心のよりどころとする多くの人々は、馬の化身とも言える馬頭琴を尊重します。「馬頭琴を持つ人は悪事を働かない」という美しいことばがあります。信仰する宗教を持つということは、馬頭琴を大切にすることに通じるのです。近年、モンゴル国の大統領は仏教寺院の復興に理解を示し、毎年行われている仏陀の生誕日を祝う行事に参加するのがならいとなっています。アマルバヤスガラント寺院やガンダン寺などの仏教遺跡を訪れると、日本の古都・奈良に似た風景に出会えるはずです。1992年に施行された新憲法のもと信教の自由が認められました。仏教が中心とはいえ、イスラム教やキリスト教などさまざまな宗教が対立もなく共存しています。この国に、人間味に富む慈悲深い心、民族の壁を越え平和と融和の精神をもたらしているのは、きわめて寡欲に生きているモンゴルの人々の寛容な精神文化のたまものと言えるでしょう。

て、モンゴルの伝統衣装ですが、これはデールといい、男女同型デザインの衣服です。襟を左前で合わせ、右肩のボタンを留め、細くて柔らかい帯を締めます。色彩や柄はあでやかで独特。靴はゴタルと呼ばれる長靴で耐久性と防水性に優れています。帽子もあるのですが、モンゴル民族の分布は広く、18の部族もあり、様式や呼び名も違いますので民族衣装についての説明は意外と難しいのです。実際、現地に訪ねてその目で確かめて見て下さい。
モンゴル各地を移動する際、良く見られるのですが石を積み上げた小山「オボ」については、チベットの記録映画などでご記憶の方もおられるでしょう。元々はラマ教的な意味で雄大な自然に敬意を表し旅の安全を願う意味があり、お経を唱え、最初の石とハダグ(青い布)を小高い丘の天辺に置きます。後からその道を訪れた人は3回その石を回りながら拾った別の石を3回投げ旅の安全を祈ります。次第に積み上げられた石は小
山になるのです。どんなに急いでいても車を止め乗客全員が3回お参りしてから行きます。似たものとして日本で登山の際、見かけるケルンのようなものです。

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なるほど~事情

事情
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モンゴルのおもしろい習慣

モンゴルおもしろ習慣
  • ■他人の足を踏んだり、自分の足を踏まれたら握手をして別れる。これには今後の喧嘩を避け、あなたの敵ではないですから許してくださいという意味があります。まったく知らない相手であればさりげなく腕に触れるか、目で合図するか、あるいは口頭で謝ります。
  • ■男の子が3歳・5歳、女の子が2歳・4歳になると断髪式を行います。親戚中が集まり最初にそのことを紹介し、一番相性が良い人が髪を切り、その人につづいて全員が切ってゆき最後には丸坊主にします。(生まれてから断髪式までは誰も髪に触れてはいけないタブーがあり、また綺麗な黒い髪が伸びるよう2、3回坊主頭にすることがあります)。
  • 宴会の時や集まり会で誰かが歌い始めると、それに合唱で応えるのが礼儀です。
  • モンゴルの歌には三種類あります。第一は、オルティン・ドー(長い歌、歌唱力が必要な歌で主に自然、家族、故郷を歌った歌詞を伴います)、第二は、ボギノ・ドー(短い歌は日本の演歌のようにも聞こえます)、第三は、日本でもよく知られたホーミーがあげられます。(ホーミー「咽歌」は高音と低音を同時に発生すると言う高度な技が要求されます。背筋や腹筋を鍛え、厳しい練習を得て会得できるものです。出来る人の数はかぎられており、世界の声楽界を魅了しています)。
  • 流れ星を見たら、「私の星ではなく、他人の星です」とつぶやきます。これは誰かが亡くなっている事を意味し、「自分の家族ではありませんように」と祈る意味があります。
  • 他人の帽子をかぶるときは、「トゥイ、トゥイ、トゥイ、私の帽子じゃない、他人の帽子」と言ってからかぶります。これは帽子の持ち主の悪いものを受け継がないためです。
  • 左手で物をもらったり、左手で物を渡してはいけない、とされています。人から物をもらう時は両手でもらうのが習慣です。
  • はさみを開いたままでは置かない、これはもちろん危険だからと言ういましめです。
  • 骨付きの肉を食べる時は、肉を残さず骨が真っ白になるまで綺麗に食べなくてはなりません。
  • 横になったままで歌を歌わない。これは縁起が悪いと言われているからです。
  • 家の中では口笛を吹かない、これは魔物を家に呼び込むおそれがあると言われているからです。
  • かまどの火にごみ屑(塵芥)を入れてはならない。これは、火の神様が怒り悪いことが起こるといわれているからです。
  • 赤ん坊を可愛がる時は、敢えて「不細工」と反対の事を言います。これには魔物は可愛い子をさらって行くと伝えられており、厄払いを意味します。また、実際、そのように不細工にならない事を願ってのことです。
  • 結婚式に出くわすと運が悪いとされます。自分の幸せをもって行かれてしまうからです。逆に、葬式にでくわしたら運が良いといわれ、亡くなった人の幸運や善が生きている人に戻ってくると理解しているからです。
  • テーブルの角に、女性は接触するような感じでは座らないこと。運が途絶えて旦那さまがみつからなくなるからです。
  • 亡くなった人の名前は呼んではいけないとされます。これには、死者を尊敬し、また霊が戻ってくることを防ぐ意味があります。
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モンゴルの記念日《主な行事・祝日》

1月1日

モンゴル記念日

年を迎える:主に若い世代の人たちが大きく祝う、1年で一番賑やかなお祭りです。モンゴルではクリスマスにはお祝いをしませんが、12月20日から街中、新年を祝う雰囲気が盛り上がってきます。会社や公共機関などは、「新年のパーティ」を開催し、年末までパーティ三昧の日々が続きます。(年に1回の行事なので特に女性は気合を入れておめかしし、ドレスや美容代に結構お金をかけます。参加する企業のパーティが多ければ多いほどお金がかかるようです)。12月31日には家族で夜の12時にテレビで大統領が国民に向けてあいさつの言葉を述べるのを聞き、それが終わるとシャンパンを開けて乾杯します。また、スフバ-トル広場では大勢の人々が集まって花火を打ち上げ、歌い踊ったりして大変賑やかに新しい年の幕開けを祝います。

モンゴル正月(ツァガーンサル)

モンゴル歴史⑦

暦の正月は年によって変わりますが主に2月頃に行われます。お年寄りが楽しみにしている古くから大事にされてきた伝統行事です。家族、親戚が集まり新年を祝います。正月のメイン料理は「ヘヴィン・ボーブ」という揚げ物の菓子、「オーツ」という羊一頭をまるごと煮たもの、「ボーズ」という肉餃子が代表的なもので、豪華に食卓を飾ります。祝い終えるまで3~5日間はずっと同じ食べ物の繰り返しになります。新年の前日、ビトゥニーシュヌ(大みそか)に家族全員が集まり、今年も災いなく終わり、新年を無事に向かえられるよう祈り、ボーズを食べながら年越しをします。お腹が一杯になるまで食べるのは、新しい年も食物が豊富であるようにとの祈りの意味でもあるのです。シニーン・ネゲン(元旦)には日の出とともに家を出て、その年のラマ教の教えによるしきたりを行ってから晴れ着に着替え、年齢順に、家長へ新年の挨拶をし、家長は挨拶を返し終わったらテーブルに着き、白い食べ物(お米、チーズなど)から最初に口に入れその後から別の料理を楽しみます。同じ内容の繰り返しで親戚中を回り挨拶し、帰りにはお土産をもらいます。親戚が多ければ多いほど家庭訪問が長く続きます。新年の挨拶の仕方:年下が年上の両腕を下から持ち上げ、年上の人が両頬にキスをします。同い年の人は握手を交わしが、夫婦は逆に新年の挨拶はしません。他人との挨拶は両腕を交わすだけでキスはしなくても良いのです。両腕を持つ意味は年下が年配の人を支えていくと言う敬意の念がこめられています。

3月8日

モンゴル歴史④

性の日は、女性のための記念日です。この日は国際的に(特に社会主義諸国において)女性の権利を守るための日です。女性たち(お母さん、お婆さん、お姉さん、娘さん、奥さん、女友達)の仕事を手伝ったりプレゼントをあげたりしますが、家ではお父さんが料理を作ったり子供たちが掃除をして女性を喜ばせます。

6月1日

モンゴル歴史⑥

子の日は、社会主義時代には「子どもの日」でしたが、今では親・子ども全員の祝日になっています。昔からの風習も残っており、今でも両親が子どもを連れて遊園地などの子どもの好きな所へ行って思いきり喜ばせます。また、両親が働いている会社と機関で子どものために行事プログラムを作り、ゲームを楽しんだりプレゼントを配ります。

7月11日

モンゴル歴史⑨

命記念日は、民族革命に勝利した日です。メインイベントはナ-ダムで、7月11~13日の3日間、全国的に休日です。ナーダムとは祭を意味し、中央スタジアムで民族歌舞の公演やパレ-ドを行ったり、大統領が祝辞を述べたり、モンゴル相撲(区切られた土俵や時間制限がなく先に膝、肘、頭、肩、背中等が地面についた方が負けとなります)、弓射(男女、大人子どもが参加します)、競馬(レースには、5歳~12歳の子ども達が参加し、30km距離を馬で競争します)の大会があります。夏季観光シ-ズンと重なるので外国からの旅行客が多くなり、ウランバートルは1年を通して最も賑やかな場所になります。

11月26日

モンゴル歴史⑧

法記念日。憲法が制定された日で休日です。

モンゴルのイベント

1月末~2月上旬頃(毎年変る) ツアァガンサル 

  写真③  写真⑤

3月1日~4日 氷の祭典【フブスブル湖】

  ②  ①

3月5日 鷹祭【チンギス村】*UBから20km

  ①  ②

3月6日~8日 らくだ祭【南ゴビ:キャメルロッジ】

  ③  ①

5月10日 キャメルポロ祭【ウブルハンガイ県:ボゴド】

  ①  ①

7月1日~4日 ツァターン祭【フブスブル湖】

  ①  ⑤

7月8日 モンゴル国際衣装祭【ウランバートル】

  ②  ⑤

7月14日~16日 ヤク祭【フブスブル湖】

  ①  ②

7月30~8月13日 モンゴルバイクチャレンジ2011  

8月7日 ホースマンナーダム祭 

8月15日 モンゴリアンホースショー

8月21日 ゴールデンナーダム祭【テレルジ国立公園】

  ④  ⑤

9月17日~18日 遊牧民の日 

  ①   ⑧

9月17日~18日 アルタイ鷹祭【バヤンウルギー県:サグサイ村】

  ①  ③

9月19日 ゴビマラソン【南ゴビ:ブルガン村】

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